「龍馬伝」と「竜馬がゆく」が全然違う理由
坂本龍馬が日本の歴史上の人物の中で最も人気がある理由は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響による部分が大きいと思います。
「竜馬がゆく」の中で描かれている坂本龍馬像は、無邪気に明るく大らか、どこか天然ボケの人懐っこいキャラ、時代や環境を超越した大局的で柔軟な思想や発想で、笑いながら大偉業を成し遂げてしまうような痛快ユーモラスで爽やかな人物。
物語全体に、軽快なユーモアと、明るく爽快な感動が散りばめられています。
ところが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」には、ドラマ全体に最初から最後まで重苦しくシリアスで暗い雰囲気が漂います。
実際よりもひねくれた性格として描かれている岩崎弥太郎がナレーションをしていることもあり、ほとんどどの回を観ても、心からスカッと爽やかで痛快な気分になれることが少ないです。
福山雅治が演じる龍馬のキャラクターも、必要以上に「熱すぎる」ため、龍馬以外の志士たちと龍馬との人物的な「大きさ」の違いがあまり伝わってきません。
そもそも、「龍馬伝」の原作を、どうして司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にしなかったのかな、と不思議に思っていたのですが・・・
すでに大河ドラマ第6回で原作「竜馬がゆく」を制作済みだったんですね。
40年以上前の昭和43年放送のドラマとはいうものの、いちど使った原作は二度と使わない方針なのでしょうか。
もしかすると、脚本家や俳優たちに、「竜馬がゆく」とは全く違う原作を使っているという「意地」のようなものもあって、史実にとらわれず、むしろ「竜馬がゆく」で描かれている龍馬像からは離れていくことを良しとするような現場の雰囲気があるのかもしれませんね。
NHK「龍馬伝」の特集ページに、脚本家 福田靖氏のコメントがあります。
僕も大学生の時に司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を夢中になって読み、「自分も龍馬になりたい!」と未来の自分を思い描いたものです。まさか、将来自分が大河ドラマの脚本を、しかも龍馬を書くなんて想像もしていませんでした。本当に脚本家冥利に尽きるというものです。
とはいえ、誰もが知っている『坂本龍馬』を大河ドラマで描くのですから、絶対に面白いものを作らなければなりません。しかし、視聴者のイメージをそのままなぞったような龍馬を見せても仕方がない。『竜馬がゆく』が発表されてからすでに46年が経っています。昭和から平成に時代は変わり、今、僕たちは21世紀の世界に生きています。その後の研究で当時は知られていなかった龍馬像も明らかになっています。今、描くべき龍馬は、46年前のものとは違うかもしれません。
僕がいつも目指しているのは、期待は決して裏切らず、でも予想は裏切って展開していく骨太のエンターテインメントです。さて、どんな龍馬を書こうか……。今、僕の中では『龍馬伝』のイメージがだんだんと出来上がっています。
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こんにちは!
恥ずかしながら、私も「龍馬伝」を見始めてから「坂本龍馬」と、その時代の出来事に興味を持ち、
つい最近「竜馬がゆく」を読み始め
「随分龍馬像が違うんだな~。なぜだろう?」と思っていたところです!
そういう理由だったんですね。納得です。
教えていただいてありがとうございます。
どちらかというと、やっぱり本の竜馬のイメージの方がピッタリきますが、でも
ドラマも「別物」として楽しんでみたいと思います。
先週は、武市半平太とお富さんの蛍のシーンに泣きましたよ~・・・。
今日も楽しみです。
コメントありがとうございます!
情報がお役に立って、うれしいです。
そうですね、全く別物として楽しむのが一番かもしれないですね。
「竜馬がゆく」の世界観や人間観があまりにも素晴らしいので、同じ人物が主人公だと、つい比較せずにはいられなくなってしまいますが・・・
小説の方も完全に史実を再現しているわけではないですし、本もドラマも、作品をあるがままに受け止めれば、それでよいのでしょうね。
ドラマの方は毎回録画だけはしていますが、まだ第6話くらいまでしか観られていないです。
少しずつ、追いついていこうと思います。(^^;